静岡地方裁判所 昭和50年(行ウ)7号 判決 1980年3月28日
東京都調布市東つつじ丘二丁目二七番一号
原告(並びに原告亡佐藤長訴訟承継人)
佐藤榮子
右訴訟代理人弁護士
宮崎佐一郎
静岡県三島市一番町二番二九号
被告
三島税務署長
大野敏夫
右指定代理人
竹内康尋
同
三上正生
同
阿部三郎
同
寺田郁夫
同
森浩矣
同
大西信之
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一、請求の趣旨
1 被告が昭和四九年四月四日付で原告及び亡佐藤長(以下「長」という。)に対し、それぞれ昭和四六年分贈与税につき贈与税額金五一三、〇〇〇円とした更正処分(以下「本件更正処分」という。)及び過少申告加算税額金二五、六〇〇円とした賦課決定処分(以下「本件賦課決定処分」といい、本件更正処分及び本件賦課決定処分を総称して「本件処分」という。)は、いずれもこれを取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二、請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一、請求原因
1 被告は、原告及び長が昭和四六年七月一六日訴外亡ワルター・ベック・アンドレス(以下「ベック」という。)から別紙物件目録記載の各土地及び建物(以下「本件不動産」という。)の所有権の持分各二分の一の贈与を受けてこれを取得したとして、本件処分をした。しかしながら、原告及び長は右時期にベックから本件不動産の贈与を受けたことはない。
2 長は昭和五二年四月七日死亡し、原告がその債権・債務を相続した。
3 よつて、原告は本件処分の取消を求める。
二、請求原因に対する認否
1 請求原因1の前段の事実は認め、同後段の事実は否認する。
2 同3は争う。
三、本件処分の適法性に関する被告の主張
原告及び長は昭和四六年七月一六日ベックから本件不動産の所有権の持分各二分の一の贈与を受けてこれを取得した。しかるに、原告及び長は藤沢税務署長に対し昭和四六年分の贈与税額が零であるとの申告をした。よつて、被告は原告及び長に対し請求の趣旨記載の贈与税及び過少申告加算税を賦課したものであり、本件処分は適法である。なお、原告らが右時期に本件不動産を取得したとする根拠及び本件処分の経緯等は次のとおりである。
1 原告らが本件不動産を取得した時期について
原告らが本件不動産を取得した日が昭和四六年七月一六日であることは以下の事実から明らかである。
(一) ベックは昭和二三年九月二〇日訴外井川愛子から本件不動産を買受け、同年一〇月一三日自己名義の所有権移転登記を経由した。
(二) ベックは昭和二三年八月一二日訴外ブルーノ・ビターから金員を借り受け、同月一三日右債権を担保するため本件不動産につき抵当権設定登記及び別紙物件目録三、四記載の土地・建物につき所有権移転請求権保全の仮登記を経由した。
(三) 債権者ビル・アール・ハート、債務者ベック間の不動産仮差押命令申立事件において、昭和三三年八月一五日横浜地方裁判所横須賀支部の発した仮差押命令に基づき、同年九月一日別紙物件目録三、四記載の土地・建物につき仮差押登記がなされた。
(四) 本件不動産にかかる固定資産税の納税告知書は東京都千代田区麹町六ノ三所在のベックの住所宛送付され、同人が右税金を納付していた。
(五) ベックは昭和三五年一二月九日本件不動産をビターに遺贈する旨の遺言公正証書を作成した。
(六) ベックは昭和四二年三月一七日原告及び長らを被告として本件建物の明渡請求訴訟(横浜地方裁判所昭和四二年(ワ)第三八四号)を提起した。
(七) 原告及び長は昭和四六年六月五日ベックを被告として本件不動産につき所有権確認・同移転登記請求訴訟(東京地方裁判所昭和四六年(第)四、八四五号)を提起したが、ベックは同年七月一六日原告らの右請求を認諾し、右所有権移転登記は同年八月一七日なされた。
(八) 以上によれば、原告及び長はベックから同年七月一六日本件不動産につき書面(認諾調書)による贈与を受けてこれを取得したものである。
2 本件処分の経緯等について
(一) 本件処分の経緯は別表記載のとおりである。
(二) 原告ら提出にかかる贈与額を零とする修正申告書は法定申告期限内に提出されているところから、被告は右修正申告書を当初申告書に対する訂正申告とし、納付すべき税額を零とする期限内申告書の提出があったもの、即ち当初申告と一体をなすものとして取り扱い、本件更正処分及び過少申告加算税の賦課決定処分をしたものである。
四、被告の主張に対する認否
1 被告の主張1の(一)の事実は認め。
2 同1の(二)の事実のうち、被告主張の各登記が経由されていることは認め、その余の事実は否認する。
3 同1の(三)の事実は認める。
4 同1の(四)の事実のうち、昭和三九年分以降の納税告知書がベックの住所宛送付されたことは認め、その余の事実は否認する。
5 同1の(五)の事実は知らない。
6 同1の(六)の事実のうち、ベックを原告とし、本訴原告らを被告とする訴訟が提起されたことは認める。
7 同1の(七)の事実は認める。
8 同2の(一)の事実は認める。
五、原告の反論
1 本件処分の実体上の違法性について(原告及び長が本件不動産を取得した時期について)
(一) 本件贈与等の時期について
(1) ベックは長と結婚し且つ長の二女である原告を養子として一緒に生活することを希望し、そのための土地・建物を贈与する旨長及び原告に申し入れていた。
(2)(イ) ベックは昭和二三年八月ころ長及び原告に対し本件不動産を買受けてこれを長及び原告に贈与する旨申し入れ、長らもこれを承諾した。
(ロ) 更にベックは昭和二三年八月三一日付の長の長男松平信武(以下「信武」という。)宛書簡において、長及び原告に対し本件不動産を贈与する、あるいはベックが長らの代理人として本件不動産を買受ける旨の意思表示をした。これに対し長及び原告は同年九月ベックに対し本件不動産の所有権の持分各二分の一の贈与を受ける旨回答し、ベックはこれを了承した。
(ハ) 仮に右事実が認められないとしても、ベックと長及び原告間の本件不動産に関する贈与契約はベックが所有権移転登記を経由した同年一〇月一二日あるいは原告らが本件建物に入居した同年一一月二二日までには成立している。
(3) 長及び原告は昭和二三年八月ころベックに対し本件不動産を買受けることを委任し、ベックは右委任に基づき本件売買契約を締結したものであるから、本件不動産の所有権は当初から長及び原告が有するものである。
(二) 取得時効について
仮に右主張が認められないとしても、長及び原告は本件不動産を昭和二三年一一月二二日から所有の意思をもつて平穏かつ公然と占有しているから、昭和三三年一一月二二日ないし昭和四三年一一月二二日の経過により長及び原告は本件不動産を時効により取得した。
2 本件処分の手続上の違法性について
本件申告は長及び原告の意思に基づきなされたものではなく、又原告らは本件修正申告書によつて本件申告を徹回したから、長及び原告の昭和四六年分贈与税の申告は存在しない。従って、申告があることを前提として被告のなした更正処分及び過少申告加算税の賦課決定処分は違法である。
六、原告の反論に対する認否
原告の反論記載の事実はいずれも否認する。
第三証拠
一、原告
1 甲第一号証の一、二、三、第二号証の一、二、第三ないし第六号証、第七号証の一、二、第八ないし第一四号証、第一五号証の一、二、第一六号証、第一七、第一八号証の各一、二、第一九、第二〇号証の各一、二、三、第二一、第二二、第二三号証の各一、二、第二四号証の一ないし四、第二五ないし第二八号証の各一、二、第二九、第三〇号証の各一ないし六、第三一号証の一ないし四、第三二号証の一ないし六、第三三、第三四号証の各一、二、第三五、第三六号証、第三七号証の一、二、三、第三八ないし第四二号証の各一、二、第四三号証の一、二、三、第四四、第四五、第四六号証、第四七号証の一ないし四、第四八ないし第五一号証、第五二号証の一ないし五、第五三、第五四、第五五号証、第五六、第五七号証の各一、二、第五八号証、第五九号証の一、二、三、第六〇、第六一号証の各一、二、第六二号証、第六三、第六四号証の各一、二(乙第六二号証は明治三五、六年ころベックとその両親を撮影した写真、乙第六三号証の一は同年ころ、ベックの父を撮影した写真、同号証の二はその写真の裏面、乙第六四号証の一、二はベックが千代田区長から贈呈を受けた硯箱を昭和五四年四月撮影した写真である。)
2 証人松平久子、同村上晋一、同秋山昌平、原告本人佐藤榮子
3 乙第一一号証の成立は知らない。乙第一七号証の二は官公署作成部分の成立は認め、その余の部分の成立は知らない。その余の乙号各証の成立は認める(但し、乙第五号証、第六号証の一、二、第九号証の一、二、三、第一〇号証の一、二、第一四号証の二は原本の存在・成立ともに認める。)
二、被告
1 乙第一号証の一ないし四、第二号証、第三号証の一ないし二九、第四、第五号証、第六号証の一、二、第七、第八号証、第九号証の一、二、三、第一〇号証の一、二、第一一、第一二、第一三号証、第一四ないし第一七号証の各一、二、第一八、第一九号証、第二〇号証の一、二
2 証人野島豊志、同武宮耕三、同久保田博三
3 甲第一号証の一、二、三、第二号証の一、二、第三、第四号証、第七号証の一、二、第八号証、第一五号証の一、二、第一六号証、第五〇、第五一号証、第五二号証の一ないし五、第五三、第五四、第五五、第五八号証、第五九号証の二、三、第六〇号証の二、第六一号証の一、二の成立は知らない(但し、甲第五四、第五五、第五八号証は原本の存在・成立ともに知らない。)甲第五六、第五七号証の各一、二は官署作成部分の成立は認め、その余の部分の成立は知らない。甲第六二号証、第六三、第六四号証の各一、二が原告の説明する趣旨の写真であることは知らない。その余の甲号各証の成立は認める(但し、甲第五、第六、第九号証、第六〇号証の一は原本の存在・成立ともに認める。)
理由
一、被告が昭和四九年四月四日本件処分をしたことは当事者間に争いがない。
二、本件処分の実体上の適法性(原告らが本件不動産を取得した時期)について
被告は本件更正処分の根拠として、原告及び長は昭和四六年七月一六日ベックから本件不動産の所有権の持分各二分の一の贈与を受けてこれを取得したと主張するところ、原告は昭和四六年以前に原告らは本件不動産を取得している旨主張する。
1 そこで、まず、ベックと原告らとの間において昭和四六年七月一六日本件不動産の贈与に関する認諾調書が作成されるに至るまでの経緯につき検討する。
(一) ベックと長及び原告の関係
成立に争いのない甲第一三、第一四、第四四、第四五、第四六号証、乙第二、第四、第七号証、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第六一号証の一、二及び証人松平久子の証言によれば、次の事実が認められる。
(1) ベックは一八八九年生のドイツ人で一九一四年来日して東京に居住し、貿易の仕事等に従事していた。昭和七年ころベックの勤務する事務所に長(明治三二年生)が英文タイプの事務員として勤めたことから両人は知り合い、その後交際が続いた。
(2) 昭和一三年ころに至りベックは長との結婚を望み、旧四谷区(現東京都新宿区)市谷本村町にあるベックの住居の近くに長らのために家を借りて、長及び同人の二女の原告らは同所に住むこととなった。ベックはその後も長に結婚を申し込み、カトリック信者であるベックとの結婚のため長は洗礼を受けたりしたが結婚するには至らなかった。
(3) 昭和二〇年二月空襲が激しくなり長は原告及び三女祐子とともに郷里の長野県下高井郡穂波村戸狩三〇〇番地へ疎開した(なお、同所の土地・建物は長所有のものであったが、長が不知の間に他人名義の登記がなされていたため、長は訴を提起し、右訴の結果昭和三〇年に右土地・建物は長の所有名義となった。)
(4) ベックは終戦後の昭和二〇年九月ころから現金や食糧を持って右疎開先へ長を訪ね、長らの希望する湘南方面に住居を購入するので結婚してほしい旨長に申し込んだ。
(二) 本件不動産購入の経緯
前記証人松平の証言により真正に成立したものと認められる甲第一号証の一、二、三、甲第二号証の一、二、成立に争いのない甲第一一、第一二号証、乙第一号証の一ないし四、前掲乙第二号証によれば、次の事実が認められる。
(1) 昭和二三年に至りベックは長らと居住するための住居を鎌倉市等に物色していたが、同年八月ころ本件不動産を井川愛子から買い受けることとした。
(2) そして、ベックは本件不動産を長あるいは原告名義で買い受けることをも考慮し、長の長男信武に対し、「登記する時立ち会ってもらいたい。登記名義は長にするか原告にするか。ベックが長か原告の代理として売買を委任された旨の書面を持って来てもらいたい。」旨を記載した同月三一日付書簡を送った。
(3) しかしながら、ベックは同年九月二〇日自己名義で本件不動産を井川愛子から買い受け、同年一〇月一二日自己名義の所有権移転登記を経由した。
(4) 長と同人の長女松平久子は同月中旬ころベックのたびかさなる要請により本件不動産を見るため鎌倉に赴いた。その際ベックは長らに対し本件不動産の所有権移転登記はベック名義でしたことを告げ、又本件建物についての感想を長に求めた。長は、本件建物が相当修繕を要するような状態であり、同所への転居には気が進まなかった。
(5) その後長は、ベックから早く本件建物に転居するよう強く求められたため、前記のような本件建物の状態等から気が進まないながらも、やむなく同年一一月二〇日長野県から本件建物に転居した。
(6) 長らは本件建物に入居後もベックに対し本件不動産の登記名義を同人らに移転するよう強く求めたことはなく、又ベックも登記名義を移転しようとしたことはなかった。そして本件不動産の登記済証はベックが所持していた。
(三) 本件不動産の使用状況及び固定資産税等の納付状況等
(1) 前掲乙第二、第七号証によれば次の事実が認められる。
ベックと長(及びその子である原告ら)は昭和二三年から一五、六年間位本件建物に同居し事実上の結婚生活(及び家族生活)を送つていたが、その後ベックは老令であること足が悪いことなどから東京都内の勤務先への通勤が困難であるため、都内に居住し、時々現金や食糧を持つて長を訪ねるような状態となつた。なお、本件建物の表礼はベックのものと長のものが掲げられていた。
(2) 成立に争いのない甲第一〇、第一七、第一八号証の各一、二、第一九、第二〇号証の各一、二、三、第二一、第二二、第二三号証の各一、二、第二四号証の一ないし四、第二五ないし第二八号証の各一、二、第二九、第三〇号証の各一ないし六、第三一号証の一ないし四、第三二号証の一ないし六、第三三、第三四号証の各一、二、第三五、第三六号証、第三七号証の一、二、三、第三八ないし第四二号証の各一、二、第四三号証の一、二、三、前掲乙第二、第一三号証及び証人武宮耕三の証言によれば、本件不動産の固定資産税及び都市計画税の納税者はベック名義となつており、昭和二三年から昭和四二年の第一期分までは長らがベックから受取つた金員のなかから納付していたことが認められた。
(四) 本件不動産への担保権の設定及びビターへの遺贈の公正証書の作成等
前掲乙第一号証の一ないし四、第四、第七号証、原本の存在・成立ともに争いのない乙第三号証の一四、二八、第一七号証の一、官署作成部分の成立に争いがなくその余の部分については前掲乙第四号証によつて真正に成立したと認められる乙第一七号証の二によれば、次の事実が認められる。
(1) ベックは聖イグナチオ教会の神父であるブルーノ・ビターから生活費等として金員を借りていたが、昭和三三年八月右債権を担保するため本件不動産に抵当権を設定しその旨の登記をした(本件不動産の一部には所有権移転請求権保全の仮登記をもした。)
(2) ベックは昭和三二、三年ころ知人のマイユルに本件不動産を買い取つてもらいたい旨申し入れたが、マイユルは長らが本件建物に居住していることを理由にこれを断わつた。
(3) ベックは昭和三五年一二月本件不動産を右ビターに遺贈する旨の公正証書を作成した。
(4) ベックは昭和四一年ころビターに対し、同人からの借入金(当時その額は三八〇万円以上であつた。)を弁済するため本件不動産を売却するので、前記抵当権答記等を抹消してもらいたい旨申し出た。ビターはこれを了承し、同年七月二五日右抵当権を放棄し、右抵当権の登記(及び前記仮登記)は抹消された。
(五) ベックの原告らに対する明渡訴訟の提起、認諾調書の作成等
原本の存在・成立ともに争いのない甲第六、第九号証、成立に争いのない甲第四七号証の一ないし四、証人秋山昌平の証言により真正に成立したものと認められる甲第七号証の一、二、証人村上晋一の証言により真正に成立したと認められる甲第八号証、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第一五号証の一、二、前掲乙第一号証の一ないし四、第七号証、原本の存在・成立ともに争いのない乙第六号証の一、二、第九、第一〇号証の各一、成立に争いのない乙第一三号証、証人野島豊志の証言により真正に成立したと認められる乙第一一号証、前記証人野島、同村上(但し、後記措信しない部分を除く。)、同秋山、同武宮、同松平の各証言によれば次の事実が認められる。
(1) ベックは昭和四二年ころ知り合いの野島豊志弁護士に、長及び原告らに対し本件建物の明渡を求める訴を提起することを依頼した(右訴の目的は、本件建物から長らを立ち退かせたうえ本件不動産を売却し、右売却代金によつてビターに対する前記債務を弁済すること等にあつたと思われる。)。野島弁護士は、ベックと一諸に本件不動産の占有状況等を確認したうえ、同年一月二五日付内容証明郵便をもつて長らに対し本件建物の明渡を求めた。
(2) これに対し、長及び原告の委任を受けた村上晋一弁護士は同年三月六日ベックを債務者として本件不動産につき処分禁止の仮処分を申請し、同月七日右仮処分を認容する旨の仮処分決定がなされ、その旨の登記が経由された。なお、長らは右仮処分申請事件において、本件不動産はベックと長と原告の共有でありその持分は各三分の一である旨主張した(証人村上晋一は、右事件において原告らは当初本件不動産は原告及び長の共有である旨主張したが、担当裁判官の言動及び保証金の関係などから右のように主張を変更した旨証言するが、右仮処分事件の疎明資料として提出された長作成名義の上申書(乙第六号証の二)の作成日付が昭和四二年三月三日と仮処分申請日より三日前になつていること、各三分の一の持分に関する主張が具体的であることに照らせば、右証言は措信できない。)。
(3) そこで、ベックの委任を受けた野島弁護士は同月一七日長及び原告らを被告として本件建物の明渡訴訟を提起し(右訴の提起がベックの意思に基づくものであることは、前記証人野島の証言、同証言及び前掲甲第七号証の一、同第一五号証の一、同第五五号証、乙第一七号証の二のベックの署名及び印影との対比によつて真正に成立したものと認められる乙第一四号証の二、前掲乙第一三号証により明らかである。)、これに対し長及び原告は昭和四三年六月本件建物の所有権移転登記請求の反訴を提起し、右両事件は併合された。
(4) 右両事件は昭和四五年証拠調がした段階で調停に付され、第三回調停期日にベックの利害関係人としてビターが出席し、同期日に長らは三〇〇〇万円又は本件不動産を同人らが取得するとの調停案を呈示したが、同年一二月二二日の第四回調停期日に調停不成立となつた。
(5) ベックは昭和四六年一月ころ胃がんのため入院したが、その後一時退院し、退院中に本件建物に居住する長らを訪れ、長らに訴訟係属中に訪れたことを詰問された。同年四月長らと再び交際することを望んだベックは前記明渡訴訟を代理人である野島弁護士に相談することなく取下げ、同年五月ころ本件不動産の登記名義を長らに移転することに同意した。しかしベックは当時本件不動産の登記済証を所持していなかつたため、長らと相談のうえ認諾調書に基づき登記することとした。
(6) そこで、右村上弁護士は、同人の高校時代からの友人である秋山昌平弁護士に、第一回口頭弁論期日に出頭して認諾すればよい簡単な事件であるから、ベックの代理人となつてほしい旨依頼した。秋山弁護士はベックに面会しベックの意思を確認したうえベックの代理人となつた。そこで村上弁護士は長及び原告の代理人として、昭和四六年六月八日ベックを被告として本件不動産につき所有権確認及び移転登記請求訴訟を提起した(右訴状において村上弁護士は被告ベックの送達場所を信武の友人である飯泉政男(但し、右訴状には誤つて飯島政男と記載した。)方とした。)。
(7) そして、昭和四六年七月一六日右訴訟の第一回口頭弁論期日においてベックの代理人となつた秋山弁護士は原告らの請求(但し、右期日において、請求の趣旨は、「被告は原告らに対し、原告らが本件不動産につき、各々持分二分の一の所有権を有することを確認し、昭和二三年一〇月一二日贈与を原因とする所有権移転登記手続をせよ。」と訂正された。)を認諾し、認諾調書が作成された(村上弁護士はベックが前訴を取下げ、右認諾をすることにつき、前訴のベックの代理人である野島弁護士には何ら連絡しなかつた。)。
(8) ベックは昭和四六年八月ころ東京都内の病院で胃がんのため死亡した。
2 そこで、長及び原告が昭和四六年以前に本件不動産を取得したとの原告の主張につき検討する。
(一) 昭和二三年の贈与契約の主張について
(1) まず、原告は、ベックの昭和二三年八月三一日付信武宛書簡において、ベックは原告らに対し贈与の意思表示をした、あるいはベックが原告らの代理人として本件不動産を買受ける旨の意思表示をした旨主張する。しかしながら、前掲甲第一号証によれば、右書簡には「誰の名前で登記するか。ナガコ(長)かエイコ(原告)か。私(ベック)がナガコかエイコの代理として買うことを任された旨の委任状を持つて来てもらいたい。」と記載されているにすぎないこと、右書簡は「親愛なる信武」の書き出しで始まり、その記載内容も特に信武個人を名宛人としていることが認められ、右事実によれば、右書簡は原告らに本件不動産を贈与することあるいは原告ら名義で売買契約を締結することをも考慮していたベックが右の点につき信武に参考意見を求め、原告ら名義で売買契約を締結することにベックが決めた場合のために原告らの委任状を持参するように信武に依頼したもの(従つて、ベックが原告らに本件不動産を贈与するか否か、あるいは原告らの代理人として売買契約を締結するか否か、の決定権はいまだベックが有する。)と解するのが相当であり、ベックが右書簡によつて右決定権(選択権)を原告らに委ね、右書簡に対する原告らの返答通り贈与契約ないし委任契約が成立するとの意思表示をしたものとは解し得ない。
よつて、原告の右主張は採用できない。
(2) 次に、原告は、(Ⅰ)昭和二三年八月三一日以前にベックは原告らに本件不動産を贈与した、(Ⅱ)ベックの昭和二三年八月三一日付信武宛書簡に対し、原告らは同年九月ベックに対し本件不動産の所有権の持分各二分の一の贈与を受ける旨回答し、ベックはこれを了承した、(Ⅲ)ベックと原告らの間の本件不動産の贈与契約は、ベックが所有権移転登記を経由した同年一〇月一二日あるいは原告らが本件建物に入居した同年一一月二二日までには成立している、(Ⅳ)原告らはベックに対し本件不動産を買い受けることを委任し、ベックは右委任に基づき本件売買契約を締結したのであるから、本件不動産の所有権は当初から原告らが有する旨主張する。 しかしながら、前記認定のように、ベックは昭和二三年一〇月一二日本件不動産につき自己名義の所有権移転登記を経由し、その後昭和四六年に至るまで原告らに移転登記をしなかつたし、原告らも登記がベック名義であることを知りながらこれを放置していたこと(長は前記認定のとおり長野県下の他人名義となつていた自己所有不動産につき訴を提起してまでその登記を自己名義としている。)、原告らは「ベック名義」で徴税されている本件不動産の税金をベックから受取つた金員のなかから納付していたこと、ベックは本件不動産に担保権を設定し、ビターに対し本件不動産を遺贈する旨の公正証書を作成し、原告らに対し本件建物の明渡請求訴訟を提起するなど本件不動産が自己の所有であるとの認職に基づく行為をしていること、原告らの本件贈与の時期及びその持分に関する主張には変遷・矛盾がみられること(前記仮処分申請における申請書及び上申書、前記明渡訴訟における被告長本人尋問調書、国税副審判官武宮耕一に対する長の陳述録取書、原告の本訴準備書面(その一)、同準備書面(その三、四))、以上の事実を総合すれば、昭和二三年にベックが原告らに本件不動産を贈与したことはなく、又ベックが原告らの代理人として井川愛子と売買契約を締結したことにより原告らが本件不動産を取得したこともないと認めるのが相当である。
よつて、原告の右主張はいずれも採用できない。
(二) 取得時効の主張について
原告は、原告らは本件不動産を昭和二三年一一月二二日から所有の意思をもつて占有していので、昭和三三年一一月二二日あるいは昭和四三年一一月二二日の経過をもつて本件不動産を時効により取得した旨主張する。 しかしながら、前記認定のように、本件不動産の登記名義は昭和二三年以降昭和四六年に至るまでベック名義となつており、原告らもこれを知つていたこと、本件不動産の税金はベック名義で長らがベックから受取つた金員のなかから支払つていたこと、本件不動産はベックが長との結婚生活のため購入し、昭和二三年以降一定期間ベックと長は本件建物において結婚生活を送つていたこと、本件建物の表礼はベックのものと長のものとが掲げられていたこと、以上の事実に鑑みれば、長及び原告は本件不動産の所有権をベックが有することを認識したうえで本件建物に居住していたものであり、昭和二三年一一月以降原告らが所有の意思をもつて本件不動産を占有していたものとは認められない。
よつて、原告の右主張は採用できない。
3 右2に判断したように、原告らは昭和二三年にベックから本件不動産の贈与を受けたとは認められず、又本件不動産を時効取得したとも認められないこと及び前記二の1認定の各事実を総合すれば、長及び原告は前記認諾調書の作成された昭和四六年七月一六日ベックから本件不動産の所有権の持分各二分の一の贈与を受けてこれを取得したと認めるのが相当である。
三 本件処分の手続上の適法性について
1 本件処分に至る経緯について
成立に争いのない甲第四八、第四九号証、乙第一五、第一六号証の各一、二、第一八、第一九号証、前記証人松平の証言により真正に成立したものと認められる甲第五二号証の一ないし五、右証人の証言(但し、後記措信しない部分を除く。)、証人久保田博三の証言、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、本件処分に至る経緯は次のとおり(別表参照。)であることが認められる(右認定に反する前記証人松平の証言の一部は前記証人久保田の証言に照らし措信できない。)。
(一) 藤沢税務署長は、昭和四七年二月ころ長及び原告に対する昭和四六年分贈与税申告慫慂のため、贈与税申告用紙及び贈与税申告についての説明書等を長らに送付した。
(二) 長の長女松平久子は長及び原告の依頼を受けて、同月二八日右申告書を携えて同署に赴き、同署係官に納税相談をした。
(三) 右久子が持参した申告書のうち長分については、「課税される財産の価額」のうち「取得年月日」「財産の類別」「数量・固定資産税価額」の欄があらかじめ記載されていた。
(四) 右係官は久子から本件不動産の贈与の経緯等についての説明を受けたが、本件における贈与の時期は昭和四六年八月一七日であると判断してその旨久子に説明したうえ、あらかじめ記載されていた長分の申告書について当初の取得年月日の記載(昭和二三年一〇月一二日)を代筆して訂正した。
更に、右係官は本件不動産につき課税される財産の価額及び納付税額について計算しこれを説明したうえ、長分についてはその余の所要事項を、原告分については所要事項の全部を代筆して記載し、右申告書に署名押印して提出するように告げた。
(五) 久子は長らと相談するため右申告書をその場で提出せず、一旦帰宅した。
(六) 長及び原告は久子から説明を受けたうえ、申告書に押印してこれを作成し(その際長は申告書の「取得年月日」欄に訂正印を押捺し忘れた。)、同日同署に提出した。
(七) 長及び原告は同年三月七日税額零等と記載した昭和四六年分贈与税の修正申告書と題する書面(以下「修正申告書」という。)を同署に提出した。
(八) 藤沢税務署長は昭和四七年七月三一日長及び原告に対し、それぞれ、昭和四六年分贈与税につき課税価格を金二、四二〇、三六六円、納付すべき税額を金五一、三〇〇円とする賦課決定処分をした。
(九) その後長らの転居によりその納税地が異動したところ、異動後の所轄税務署長である被告は、昭和四八年一二月二五日右処分を取り消し、昭和四九年四月四日本件更正処分及び過少申告加算税の賦課決定処分をした(本件処分の税額はいずれも法律に従つたものである。)。
2 本件処分の手続上の適法性について
(一) まず、原告は本件申告が原告らの意思に基づきなされたものでない旨主張するが、右1の(六)認定のように、本件申告は原告らの意思に基づきなされたと認められるから、原告の右主張は採用できない。
(二) 次に、原告は、前記修正申告書によつて原告らは本件申告を撤回したから原告らの昭和四六年分贈与税の申告は存在せず、従つて、申告があることを前提として被告のなした本件処分は違法である旨主張する。
しかしながら、長及び原告が藤沢税務署長に提出した税額零とする修正申告書が国税通則法一九条の修正申告書、同法二三条の更正の請求に該当しないことは明らかであるところ、右修正申告書が法定申告期限内に提出されているところから、当該修正申告書を当初申告に対する訂正申告とし、納付すべき税額を零とする期限内申告書の提出があつたもの、即ち当初申告と一体をなすものとして取り扱うことが可能であること、更に右修正申告書を当初申告の撤回と解するときは後に賦課決定がなされた場合無申告加算税が課されるのに対し、訂正申告と解するときは後に更正決定がなされた場合過少申告加算税が課されるに過ぎず納税義務者に有利となること、以上の二点に鑑みれば、右修正申告書をもつて当初申告に対する訂正申告と解することは適法というべきであり、原告の右主張は理由がない。
四 以上認定及び判断したところによれば、長及び原告は昭和四六年七月一六日ベックから本件不動産の所有権の持分二分の一の贈与を受けてこれを取得したにもかかわらず、昭和四七年三月七日昭和四六年分の贈与税額は零であるとの申告をしたものであるから、被告のなした本件更正処分及び本件賦課決定処分はいずれも適法なものであり、その取消を求める原告の請求は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松岡登 裁判官 紙浦健二 裁判官 松丸伸一郎)
物件目録
一 鎌倉市腰越字猫池台一四五四番二
宅地 六二・八〇平方メートル
二 同 所 同 番四
宅地 六六・一一平方メートル
三 同 市笛田字向ケ谷八九二番一
宅地 二九七・五二平方メートル
四 同 所 八九二番地一
家屋番号 同大字一三六番
木造瓦茸二階建居宅
床面積 一階 七二・七二平方メートル
二階 三八・〇一平方メートル
付属建物
木造スレート茸平家建物置
床面積 一四・八八平方メートル
別表
本件訴訟が提起されるまでの経緯
<省略>